今月の音声心理士#8:坂井仁美さん

聞き手・本文/北村昌陽(フリーランスライター)

2026.11.01

――今日はよろしくお願いします。
坂井さんは、いま活動中の音声心理士の中で、一番新しい認定者ですよね(2026年11月現在)。

坂井仁美さん(以下、坂井)はい。認定をいただいたのが今年の5月です。

――海外在住と聞きましたが。

坂井ええ。イタリアに住んでいます。2003年に、イタリア人の主人との結婚を機に、こちらに移住しました。

――声診断と出会った経緯を、教えていただけますか。

坂井わかりました。ちょっと長い話になると思いますが、いいでしょうか?

――はい。

坂井振り返ってみると、私の人生って、結婚に至るまでは、まあまあ上り調子の人生でしたが、結婚後は奈落の底へ転落したような感じでした。

そして、そこにどんな意味があるんだろう? と、ずっと考えてきました。

私はもともと、海外専門の旅行会社に勤めて、添乗員として海外を飛び回る生活をしていました。

あるとき、イタリアツアー中の事故がきっかけで、現地でバスドライバーをしている夫と出会いました。

そこから、まるで映画のような劇的な大恋愛で結婚に至り、イタリアに住むことになったんです。

ところが、現地での生活は一転して、本当に大変で。

義理の両親と同居だったんですが、特に義理の母から、ひどく意地悪な扱いを受けました。

いま思えば、義理の父が私のことをすごく気に入ってくれていたので、嫉妬があったかもしれないのですが。

当時は、本当に心細くて、辛くて。

頼りの夫は、バスドライバーですから、仕事で長期間、留守にすることが多い。

私は、ほとんど自分の部屋に閉じこもりっぱなしでした。

それでも、もう妊娠していましたので、出産に備えなきゃいけない。もうほんとに、いっぱいいっぱいの毎日でした。

――うーん、そうだったんですね。

坂井そんな中で、転機になったのが、出産の体験です。

お産を通じて体感した、大いなるものに「委ねる」感覚

坂井最初の子は女の子。イタリアで生みました。このとき、逆子だったため、帝王切開になりました。

手術3日目で床を歩かされ、5日目には退院して普通に家事をしないといけなかったので、本当に身体的にも精神的にも、痛みや辛さの中での子育てが始まりました。

それで、二人目を授かったときに、次はどうしても自然なお産で産みたいと思って、お産のために日本に帰ったんです。

――そうなんですか。でも一般的には、一度帝王切開で出産した人は、それ以降も帝王切開を勧められますよね。前回の手術の傷が、陣痛や分娩圧で裂けてしまうリスクがあるので。

坂井はい、私も最初は、海外で切開・縫合したケースなんて責任を持てないって言われて、何件も断られました。

でも、以前、結婚前に知り合っていた、自然なお産を推奨しているドクターに問い合わせたところ、受け入れてくれると言ってくださって。それで、電車で片道4時間かけてそのドクターのところに通いました。

――そうですか。よく見つかりましたねぇ。

坂井そこでは、お産に向けて心身共に調えるために、山に登ったり、拭き掃除や薪割りなどをするんです。

帝王切開の傷を見たドクターから、こういう傷だから、お産のときはきっと弱い陣痛が長く続いて、その間に徐々に体が準備して、ゆっくりとお産へ進むことになるだろう、と言われまして。

実際のお産のとき、本当に、言われた通りになったんです。

――へぇー、すごい。

坂井私はどこかで、帝王切開の傷を、“欠点”のように思っていたと思うんです。

でも体は、傷も含めて全部を丸ごと受け止めてくれた。私と、息子と、それをとりまく大いなるいのちの営みのハーモニーによって、傷があるなりの神秘的なお産になりました。どこかに歪みがあっても、それがダメっていうのではなく、全部トータルで含めて、調和する方向へ流れていく、そんな感覚がありました。

そんな大自然の命のハーモニーを、お産を通じて体感させてもらった。

生まれた直後、子供を胸に抱いたら、ああ、なんて幸せなんだろう、って。溢れてやまない愛の泉、みたいな感じが、すごく込み上げてきたんです。ほんとに、そこから何年もすごかったです。

――へぇー。

今年の誕生日に娘と娘の彼と一緒に外出(^^♪)

がんが発覚した父。私は、少しでも長く生きて欲しかったけれど…

坂井それから、父が亡くなったときの経験も、大きな転機だったと思います。

――はい。

坂井10年ほど前ですが、父が末期がんらしい、という連絡が家族から来ました。

私としては、父はまだ若いし、これから海外旅行とかを楽しみたいとも言っていたので、なんとか治ってほしい、って思ったんですよ。

それで、自然治癒力を活性化する方法などを調べて、父に送り始めたのですが。

そうしたら電話中に、いきなり怒られました。

心配してくれるのは嬉しいけれど、僕が自分で決めることに口出ししないで欲しい、って。

――あらら。

坂井それで、こっちは、大好きなお父さんが死んじゃいやだ、って思ってやっているのに…って、最初はすごいショックだったんですが。

でも、そのとき、はっとしたんです。

私は、父がどうしたいのかを、全く聞いてなかったんです。

父はもう、いかにいい最期を迎えるか、というところへ向かって進みたかったんです。

たぶん、自分の体の状態を、自分で感じ取っていたんだと思います。

だから、みんなにとっていい状態で最期を迎えたい、と、もう意識をそっちに向けていた。

――なるほど…。

坂井それで、私はそのとき、私にとって大切な人が、自分でそう決めたんだから、私の気持ちとは真反対だけど、父の想いを尊重しようって決めたんです。

私としてはお父さんが死んでしまうのは嫌だけど、でも父が、自分の死に向かって備えたいって思ってるのなら、それに寄り添う。そう覚悟を決めて、日本に帰りました。

――うわー。そうだったんですね。

坂井で、そうしたら、本当に、いい最期を迎えることができました。

亡くなる前日に親族皆が集まったときには、父は皆を笑わせて、笑顔で皆を見送っていました。

遺影の写真まで、本当に安らかな、微笑んだ写真を準備してくれていました。

普段はぶっきらぼうな人だったのに、こんないい笑顔を残してくれて、でも目の中には涙がきらっと光って見えていて。

その写真を見たとき、みんな幸せでいてねってエールを送ってくれたような、愛の深さを感じました。

これは私としては、真反対のものを受け入れることによって、もっと大きな調和の世界へ連れて行ってもらった、そんな体験だったと思います。

“足りないものを埋める”生き方から、卒業するために

坂井私は子供のころからずっと、何か理想を掲げては、足りないものを埋めるために頑張る、そんな生き方をしてきました。

だけど、自然なお産の体験は、自分だけの頑張りを超えて、大自然の流れに委ねていくすばらしさを、経験させてくれた。

父の死に際しては、自分と真反対の想いを受け入れることで、もっと大きな調和の世界を体感させてもらった。

このあたりに、何か大切なメッセージが、あると思うんですよ。

――なるほど。

坂井それで、自分の人生の意味を知りたくて、これまでいろんなことを学んできました。カウンセリングとか、エネルギーワーク的なものとか。

そんな中で、声診断にも出会ったんです。

――おお、やっとたどりつきましたね(笑)。

坂井すみません、長くて(笑)。

それでセッションを受けたんですが、やっぱり声から自分の状態がこんなにわかるというのが、すごい驚きでした。

私、自分の人生の根底には、「二極性の世界」を超えていく、というテーマがあると思うんです。

――ほう。二極性の世界、ですか。

坂井はい。正解と不正解とか。あるいは、言葉になるものとならないもの、とか。

結局、自分が苦しんでいる時って、その二極のどっちかに偏って、ハマってるときだと思うんです。

どちらかに偏るから、欠乏感が出てくる。だから、足りないものを埋めようとして、頑張る。

そういう二極性を超えていくためのサポートとして、声診断は、本当にすごいと思いました。

観えている世界と観えていない世界。それを声を通して統合して、超えていく。

私自身、そういうツールを見つけたいとずっと思っていたので、これはすごい、って思って、音声心理士になろうと決めたんです。

――なるほどー。そうなんですね。
ちなみに、意地悪だったお姑さんとは、いまどんな関係ですか?

坂井義母は今、ほぼ寝たきりの状態です。食事も一人でできないので、私がつきっきりで介護しています。以前に比べたら、嫌味な感じは格段になくなりました。

許せない気持ちは、今でもやっぱり、あります。それでも、この人には私が最後まで寄り添うんだろう、と覚悟してる部分もあるんです。

――そうでしたか。そこにも、二極性のテーマが関わっているかもしれないですね。

坂井ああ、確かに、そうですね。

イタリアでの母的存在の叔母さん(お姑さんの妹)のお祝いにて

――坂井さんはこれから、どんな音声心理士になりたいと思っていますか?

坂井今ちょうど、由美子先生の直伝⭐︎音声心理士講座をやっていますよね。

私も受講させてもらっていますが、由美子先生が最後に、全部の要素を拾って、まんまるに包み込んでいくあの流れや視座の高さが、見るたびに、すごいなぁ、って思っています。

あんなふうに統合していけるのは、やっぱり音声心理学ならでは、ですよね。

私は、まだまだ学び始めたばかりですけれど、あの感動的な境地に、少しでも近づけるようになりたいと思っています。

――ありがとうございました。