今月の音声心理士#7:俵あゆみさん
聞き手・本文/北村昌陽(フリーランスライター)
2026.10.01
――俵さんは、医療系のお仕事をされているんですね。
俵あゆみさん(以下、俵)はい。作業療法士として、大阪の医療機関で働いています。脳機能や身体に障がいを持つ人に、リハビリテーションをする仕事です。
――声診断に興味を持ったきっかけを教えていただけますか。
俵私、目新しいものが好きなんですよ。それで、リハビリの現場で使えそうな面白いものを見つけたら、すぐ試してみたくなる。
例えば、リハビリのデイケアを1日やったあと、最後に瞑想する時間があるんです。そのとき普通なら、癒し系の音楽とかを流すんですけど、私は、シンギング・リンというちょっと特殊な倍音楽器の音色が好きで、その楽器を使ったりしています。少しでも、患者さんに気持ちよくなってもらえたらええなーって思って。
そしたら、2022年頃だったと思いますが、シンギング・リンの先生と、中島由美子先生のトークイベントがあったんですよ。
何これ、面白そうって思って、早速参加しました。
――なるほど。
俵そこで由美子先生が、心の状態が声の波形でわかりますっていうお話をされて、実際に波形を見せてくれて。
うわ、心が色で出るんや、これ、おもろいやん!って思いました。
――(笑)面白いですよね。
俵私が接する患者さんは、怪我や病気で、人生の途中から障がいを負った方がほとんどです。以前できたことが、できなくなってしまった状態です。
作業療法では、残った体の能力を使って、“できること”を増やすお手伝いをします。例えば、障がいを補う道具を工夫したり、外出や人との交流をサポートするなどして、なるべく“できること”を増やすよう目指します。
ただ一方で、“できること”にばかり価値を置いてしまうのも、考えものだと思うのです。やはり、“できなくなった自分”を受け入れる、つまり「自己受容」が、常に大きなテーマとして存在するんですね。
声の波形を見たとき、患者さんを「自己受容」に導びけるヒントがここにある、と思ったんです。
――ほー。ということは、声診断が患者さんに役立つんじゃないか、と。
俵そうですね、これは使えるかも、って思いました。
それと、もうひとつ。
実は、その少し前に、夫の体にがんが見つかったんです。もう転移している進行がんでした。
すごいショックやったし、この先どうなるんやろ?って不安もありました。
だから、夫と私自身も、自分の心と向き合って、なにか気づきを必要としていたタイミングだったんやろ、と思います。
それで夫に聞いたら、ほな一緒にやるわ、って言ってくれたので、VRP(Voice Revolution Program)の講座を一緒に受け始めました。
「知識」を語るだけでは、伝わらないものがある
――VRPは、声の波形を通じて、自分の心と向き合う講座ですね。参加してみて、いかがでしたか?
俵ものすごい新鮮でした。
――ほう。何が新鮮だったんですか?
俵私は医療系の専門職をしていますので、それまでにも、けっこういろんなことを、学んできたんですよ。
その経験から言わせていただくと、それまでやってきた学びは、全部「知識」なんです。
知識を頭に入れることは、学びの基本として、とても重要だと思っています。
でも、そうやって頭で覚えた知識で何かを語っても、やっぱり、人には通じない部分って、ありますよね。
例えば、先ほどお話ししたような、障がいを負って自己受容に苦しんでいる患者さんに知識をお伝えしても、それだけじゃ、なかなか受け取ってもらえないです。
で、音声心理学ではそこを、知識じゃなくて、自分の心と向き合おう、ってやるわけですね。12色の心の働きごとに、自分のエゴと向き合い、深掘りして、手放そう、と。
そうやって、自分の声の波形を整えていく。つまり、私がフルサウンドボイスに近づいていくことで、それまで伝わらなかったものが、伝わるようになる。
これは、それまでとは全然違うアプローチで、ものすごい新鮮でした。
心理学的な学びにもいろいろありますけど、なかなかこういう視点はないと思うんですよ。心の働きの理論とか、カウンセリング技術とか、そういうのは本を読んで勉強できるけれど、自分のエゴを掘っていくのとは、全然、違いますよね。
――なるほどー。いろんなことを学んできた俵さんだからこそ、感じた部分だったかもしれないですね。
俵まあ、じゃ、自分はできてるんか?って言われたら、まだまだやとは思うんですけど。
それでも、そんなふうになっていきたい、という憧れはありますね。
「夫を看取る」という体験が、残してくれたもの
夫の俵正典(まさやん)と一緒に。
俵2022年からVRPに参加して、2023年の夏ぐらいからは、音声心理士の講座も受け始めました。
自分としては、粛々と進めていくつもりだったんやけど…。
その頃から、夫の容態が少しずつ、厳しくなってきて。
徐々に、いろんなお世話が必要になったため、音声心理士の勉強に集中できる状況ではなくなっていきました。
――うーん、そうだったんですね。ご主人はその時期、お仕事はされていたんですか?
俵はい。夫は小学校の校長先生でした。2024年の3月が定年だったんです。仕事は最後まで全うしましたが、最後の方は自転車通勤が体力的に難しくなって、私が車で送っていました。
定年になってから、本人の希望で、4月から夫も音声心理士の講座に参加しました。すごい頑張っていましたが、だんだん、パソコンの前に座っているのもしんどい感じになっていって。
講座が終わったのが6月。そのあと自宅で療養していましたが、その頃には、食事や着替えも、一人では難しくなっていて。
そして9月に、亡くなりました。最期は、私が自宅で看取りました。
――そうですか。最期まで横にいられたんですね。
俵はい。最期の瞬間に、そばにいられたのは良かったと思っています。
私、まだまだ介護するつもりだったんですよ。寝たきりのままでも。でも、最期はこんなに早いんや、って思いました。
呼吸がなくなってきて、意識もなくなってきたら、ああもう逝ってしまうのか、みたいな感じで。
前の日には、晩御飯食べてたのに。一緒に新聞広げたりしてたのに。
こんなに早いんか、って。
それやったら、もっとこうしてあげたら良かった、みたいな気持ちは、今でもやっぱり、出てきますね。
――そうなんですね。
俵はい。
それでも、最期までそばにいれて良かった、と。そこは私なりに、やり切ったと思っています。
――お話を聞かせていただいて、ありがとうございます。
俵いえいえ。聞いてもらえて、良かったです。
なかなかね、こういう話も、できないですから。あんまり聞かれることも、ないですし。
でも、こういう、亡くなるときにどうだった、みたいな話も、案外、聞いて欲しいのかもしれない、って思いました。
こういうのも、体験してみないとわからないことですから。
――なるほど…。そういう意味では、ご主人は、すごい貴重な宝物を、残してくれたのかもしれないですね。
俵ああ、確かに、そうかもしれない。
医療の現場で、声診断を生かしていくには?
――俵さんは、この先、音声心理士としてどんな活動をしていきたいですか?
俵私、心理士の資格をいただいたのが今年の2月で、まだまだ何もできてないんですよ。セッション数もまだ少ないし。
だから、まずはとにかく経験を積んで、ちゃんとセッションできるようになりたい、っていうのがあります。
その上で、最終的にはやっぱり、医療の中で声診断を生かしていけたらいいな、っていう想いが、ありますね。
――おー、素晴らしい。
俵ただ、医療業界でやっていくとなると、やっぱり、エビデンスはあるの?とか、そういう目でみられることになるので、そのあたり、どういう形で入っていったらいいのか。難しさも感じています。
――なるほど。興味を持ってくれる方は、いらっしゃいますか?
俵勤め先のスタッフの皆さんには、受けてもらっています。面白いって言ってくれる人も、けっこういますよ。
――あ、それ、いいじゃないですか。
俵はい、医療の現場のスタッフにとって、「声にその人の心が現れる」というお話は、割とピンとくるというか、臨床的な直感として、受け入れやすいと思うんですよ。
だから、まずはスタッフにどんどん受けてもらって、そこから少しずつ広げていけたらいいな、と思っています。
60歳お祝いで、喜ぶ私。
娘と一緒に。親子ニ代にわたってはまった「ベルサイユのばら」の聖地、ベルサイユ宮殿前にて。
あとは、言葉を超えた部分で、気持ちとか、愛情を伝えられる心理士になりたいです。
夫が亡くなる少し前に、私、残った人生を夫とどう向き合えばいいか、っていうテーマで、セッションを受けているんです。それで、いろんなアドバイスの言葉をいただきました。
その内容もさることながら、そこから伝わってきた愛情というか、サポートしてくれる気持ちの温かさが、本当に嬉しくて、ありがたくて。
あの時に受け取ったものがなかったら、私、その後の期間、一人で夫を看取っていくのは、耐えられなかったかもしれない。
だから、自分も、そういうものを伝えられるセッションギバーになりたい。そう思っています。
――本当に貴重なお話を、ありがとうございました。




